2023.10.04
着実にかつての活気を取り戻しつつある福島県の中で、11年もの間、避難指示区域に指定され続けた双葉町。この地域復興を最前線で牽引するのが『スーパーゼロミル』です。その運営母体である『浅野撚糸』社長・浅野雅己さんと、双葉町の地域復興を支えるスタッフに、リアルな話を聞いてきました。
浅野撚糸株式会社 代表取締役社長
浅野雅己さん
1960年、岐阜県安八町生まれ。福島大学卒業後、小中学校での体育教師を経て、27歳で父・博氏が創業した『浅野撚糸』に入社。1995年、2代目社長に就任。安価な中国製糸の台頭により、一時は倒産の危機に見舞われるも、自社開発撚糸『SUPER ZERO®』を使用したオリジナルタオル『エアーかおる』の爆発的ヒットで回復。2013年『第5回ものづくり日本大賞-経済産業大臣賞』、2014年『文部科学大臣表彰-科学技術賞』受賞。テレビ東京『カンブリア宮殿』や『ガイアの夜明け』など、テレビ出演も多数。
目次
まだ双葉町の避難指示が解除される以前の2021年10月に着工し、避難指示解除から8ヶ月が過ぎた2023年4月、晴れて同地にグランドオープンを果たした複合施設『フタバスーパーゼロミル』。総面積28,000平方メートルにも及ぶ広大な敷地には、撚糸工場、ショップ、カフェなどの機能を集約。まさに地域復興の拠点となるこれからの双葉町のシンボルですが、なぜその運営が岐阜県の撚糸企業なのか。浅野社長、きっかけなんだったんですか?
「直接のきっかけとしては、私が所属していた『繊維の将来を考える会』という組合の会議の中で、経産省の方から『福島の復興を手伝ってくれ』と頼まれたことです。まぁ話をいただいた当初は、かなり及び腰でしたけどね。でも私は福島大学の出身ですので、福島には少なからず縁があったんです。けれど震災の時、私は現地に駆け付けることができなかった。その点で後悔のような感情を抱いていて、なにか機会があれば福島の役に立ちたいとも、ずっと思っていました。
それと、私の実家である岐阜の工場も、かつてひどい水害に遭っているんですよ。そしてこの時、国に対する訴訟団の団長を務めたのが、先代の父でした。その背中を見ていたということも、いま思えば大きかったと思います。
そういった感情の中で揺れ動きながら、初めて双葉町に視察に来た時には、本当にショックでした。2019年だったので震災から8年ほど経っているわけですが、恐ろしいほど何もなくて、あるのは、空き家と汚染土が詰まったフレコンバッグだけ。流石に胸に来ましたね。その後、町長さんともいろいろ話したんですが、町長さんがまた素晴らしい方で、私利私欲がないというか、公明正大というか。年齢も近いから話も合うし、この人とならうまくやっていけそうだと感じたんです。そこから、今でこそ双葉町の振り子はマイナス方向に振り切れているけれど、これがプラスの方に振り始めたら、とんでもないことになるかもしれないと考えるようになり、最後は家族の同意も得て、人生最後のチャレンジとして挑戦することに決めました。本当は63歳、だから今年ですよね、今年中には息子と社長交代する予定だったんですけどね(笑)」。
そうして2023年4月に開業を迎えた『フタバスーパーゼロミル』は、単なる撚糸工場ではなく、双葉町の地域復興を支えるコミュニティスペースとしての機能も備えています。その根幹となるコンセプト、そして目的とは?
「いくつか切り口があるんですが、ひとつは、まず私たち自身が成長できる場所であること。弊社の特許である『SUPER ZERO®』は、世界的に見ても唯一無二の技術です。これを海外に広く発信するためには、本社がある岐阜でもなく、自社店舗を持つ南青山でもなく、圧倒的に双葉町だと考えています。
チェルノブイリは地図から消えました。だけど双葉町は消えない。11年間誰も住むことができなかった地域を、今から復興していくんです。これは世界でも類を見ないチャレンジであり、戦後日本が世界を震撼させた復興精神の見せ所です。双葉町はそういう意味でも、世界の注目が集まる町なんですよね。
それともうひとつはやっぱり、社会的にも経済的にも、双葉町のためになる場所であること。雇用を生んで、若い力をどんどん入れて、町全体を活性化させる。それが結果として福島の復興に繋がり、東北の復興に繋がり、日本の再生に繋がるはず。さらに大きく言えば、世界平和にも繋がると感じています。
最後に、日本の地域産業を元気にすること。撚糸という仕事は、いわば下請けの下請け。本来は世に出ることがない領域ですし、今や極めて斜陽な産業です。だけどそんな撚糸屋の私たちでも、このような大きな工場を作り、独自の技術力を持ってして、世界と渡り合っていけることを証明したい。それは必ず、私たちのような繊維業者さんや町工場さんなど、地域の中小企業のみなさんにとっても、大きな刺激になると信じています。だから『フタバスーパーゼロミル』では工場を公開しているし、工場だけでなくオフィススペースもガラス張りにして、すべてを見せる化しています。
ですからこれを読んでいるみなさんにも、私たちのこの現場を、是非一度見に来てもらいたいですね。そうやって私たちが呼び水となって、観光客でも移住者でも、どんどん新しい人を呼び込みたい。そして近い将来、交流人口300万人を達成するのが、このプロジェクトの当面の目標です」。
「私、ここに来て思うんですよ。日本人で本当に良かったなって。だって、あんなに重大な事故が起こり、双葉町の多くの人が住む場所を追われる中で、2000人以上の地主さんが中間貯蔵地として土地を提供したんですよ?もちろん保証金の存在もあるわけですが、絶対にそれだけじゃない。やっぱりそこには、日本人の心があったからだと思うんです。それが宗教観なのか哲学なのかはわかりませんが、いま日本が世界に最も注目されている部分って、実は、この日本人の心なんじゃないでしょうか。
そういった日本人の心が、この双葉町では、さらに強く感じられるんです。役場の方も、他所で働いている方も、みなさん本当にモチベーションが高い。やっぱり復興に対する想いが一致してるからなんでしょうね。それはもちろん、うちの社員も同じです。
正直に言うとこの『フタバスーパーゼロミル』の開所式って、裏側は本当にめちゃくちゃだったんですよ。大臣は来るわ官僚は来るわ、各界の要人300人以上にご来場いただいたんですが、人手も足りなければオペレーションもままならなくて、カフェなんて2時間待ちになったりして。それでお客様にも怒られて、社員は本当に辛かったと思います。流石に私も、これはみんな辞めちゃうんじゃないかと心配しました。
だからそれから2ヶ月くらい経って落ち着いた頃に、全員の個人面接をしたんです。大丈夫か?続けられそうか?って。そうしたら全員、『絶対に辞めません』と答えてくれました。岐阜の本社から連れてきた若い子たちも、当初はみんな1年で帰す予定だったんですが、口を揃えて『1年なんかじゃ帰りませんよ』と言ってくれて。そこで私も確信しましたね、これは勝てるなって。それもこれも、根底に日本人の心があるからだと思うんですよね。だから改めて日本人で良かったと感じますし、この心があれば、双葉町を世界一の町にすることもできると私は信じています」。
今年の4月に高校新卒で入社したばかりというスーパーフレッシュな鈴木さん。出身は同じ福島県でも、やや南に位置するいわき市。双葉町に比べると地域復興の進みもずっと早く、多くの働き口もある中で、なぜあえて『フタバスーパーゼロミル』に就職したんですか?
「私も元々は、実家から通えるいわき市内で探していました。ですが高校の進路室の先生が『エアーかおる』を使っていたことをきっかけに『フタバスーパーゼロミル』の存在を知り、なんとなく興味を持って企業見学に伺ったんです。そこで浅野社長と直接お話させていただき、その熱意と想いに惹かれて、私もここで働きたいと思い志望しました。
なので今は実家を出て、双葉町で暮らしています。もちろん初めは不安もありましたが、『浅野撚糸』の社員はシェアハウスのようなカタチで半共同生活を送っているので、寂しさなどはあまり感じていませんね。メンバーも同じ世代の方が多いので、むしろ純粋に楽しいです。近所の住民の方々も大体顔はわかりますし、このカフェに来てくださる方も多いので、安心感もあります。遠くからわざわざ来てくださる常連さんもいらっしゃって、何かと声を掛けていただけるのが嬉しいですね。
まだまだ人が少ないですが、だからこそコミュニケーションの距離感が近いのが、双葉町の魅力だと感じています」。
現在は『フタバスーパーゼロミル』で働く子安さんですが、元々は本社勤務で採用された、岐阜が地元の2年目社員さん。前出の鈴木さんとはまた違う経緯で双葉町に務めているわけですが、実際のところはいかがでしょうか。
「鈴木が話していたとおりシェアハウスのような家で暮らしているのですが、私だけ他のみんなより1ヶ月くらい早く入居していたので、初めは完全にひとり。友達もいなければ飲食店もないので、もうとにかく寂しかったですね。『早く岐阜に帰りたい!』ってずっと思っていました(笑)。
ですが徐々に仲間が増えていき、今ではここでの暮らしを完全に楽しめています。私は今20歳なんですが、他の社員も半分くらいがほぼ同世代なので、普通に話が合うんですよ。そういった仲間たちといつも一緒にいると、段々と考えが伝染してくるんです。鈴木もそうですが、みんなわざわざ双葉町に来るくらいなので、少なからず復興への想いを持っているんですよね。私は岐阜出身なので、初めはそういう気持ちは薄かったですが、今では同じくらいの熱量で双葉町に向き合えていると思います。
ここに来てからまだ数ヶ月ですが、少しずつ会社さんやお店さんも建ち始めているし、これからどう進化していくのか、毎日本当に楽しみです。当初は1年任期の転勤という契約でしたが、今のところ、延長申請をするつもりです。双葉町が町として完全に復興するところまで、しっかり見届けたいと思っています」。
福島県の他地域に遅れること約10年。今まさに復興への道を歩みだそうとする双葉町のランドマークとして、その牽引役を任された『フタバスーパーゼロミル』。そんな途方もない挑戦に挑むことを決めた浅野社長と、そのエネルギーに感化された若手社員たち。それぞれの背景は様々ですが、抱く想いが同じであれば、きっと未来は明るいはず。OMUSUbeeはこれからも『フタバスーパーゼロミル』の動向に注目しつつ、陰ながらエールを送り続けます。
フタバスーパーゼロミル
住所:福島県双葉郡双葉町中野舘ノ内1-1 MAP
URL:https://asanen.co.jp/dakishimetefutaba/#super_zero
Credit
Photo_Taijun Hiramoto
Edit & Text_Satoshi Yamamoto
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